人格というもの


人格というものを考えてみる。

通常、人格は、一人に付き、一つだと考えられている。
だけど、最近、どうも、それが疑わしいと考えている。
別に、カミングアウトするわけではないが、私の中には、複数の人格が存在している。
そんな気がする。

世の中には、社会が存在し、我々は、そこで生き抜いていかなければならない。
自分が属する社会が一つだけなら、話は単純なのだが、残念ながら、一つの社会のみで生きていける人はいないだろう。
学生なら、学校という『社会』があり、サラリーマンなら、職場という『社会』が存在する。
そして、友人関係という『社会』、家庭という『社会』、趣味仲間の『社会』、・・・、付き合う顔ぶれが変われば、その数だけ『社会』が存在する。
そして、社会の中では、何者であろうとも、必ず役割が存在する。

役割が変われば、使う言葉を変えないといけない。
使う言葉が変われば、思考は、言葉に引きずられて変化する。
思考は、言葉によって成り立つから、こればかりはしょうがない。
結局、自分の属する社会の数だけ、思考、つまり人格が生まれてしまうことになる。

どっちが多数派かは分からないが、あまり環境に左右されず、一つの人格で勝負できる人も確かに存在する。
多分、精神的に強靭なんだろう。

結局のところ、私のように、精神的に軟弱な人間は、数で勝負するしかないって事だ。


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