何が怖くて2:ぺらぺらの生


人間の(というか全ての動物の)脳は、停止することなく、常に活動している。
大脳だけはノンレム睡眠時に休むらしいが、それ以外の箇所は常に活動している。
脳の活動が停止すれば、(私達が普段意識することなく動いている)鼓動や呼吸が停止するので、大変な事になってしまう。
つまり、脳の停止=死となる。

<私は生きているか?>

私は、確かに今生きている。
生きて、今、キーボードを叩いている。
私達は、今現在自分が生きているということを実感することができる。
自分が今確かに生きている(=存在している)ということは、どうやったら分かるのだろうか?
胸に手を当てて、鼓動か感じるとか、口とか鼻の前に紙を持ってくれば、紙がゆらめくことで呼吸を確認することも出来る。
でも、「自己の存在」という意味では、「自分が今考えている」ということ実感するしかないはずだ。
鼓動や呼吸をしていても、脳が死んでいれば、それはいわゆる脳死状態であり、自分が今確かに生きているという実感とは、少し話が違うかもしれないからだ。

<生は広大か?>

私達の脳の活動には、「意識」と「無意識」の領域がある。
当たり前だが、私達が認識できるのは「意識」の領域だけだ。
つまり、私達にとって「生」とは、「意識」つまり「言葉」でしかないのだろう。

「生」とは、様々な活動や反応の集大成としてもたらされる。
「生物を創り出したのは神以外にありえない」とダーウィン以前の科学者が唱えたように、恐ろしいほど複雑で精密なメカニズムが「生」を支えている。
しかし、私達にとって、「生」が「言葉」でしかないとするなら。
何とも、ぺらぺらとして、頼りない「生」となってしまう。


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