何が怖くて4:癇癪持ちの宗教とやんちゃな科学


世の中には、どこもかしこも科学が溢れかえっている。
科学は、便利で、人間の残した偉大な産物だ。
まあ、確かに、時々は、ひどくウンザリさせられることもあるけど。

朝、私を夢見心地から現実世界に呼び戻すのは、水晶振動子の内蔵された目覚まし時計のけたたましい電子音だし、仕事のことを考えてため息を吐きながら、腕を通すシャツは化学合成繊維を機械で編みこんだ物だし、マッドサイエンティストの如く爆発した頭を撫で付けるムースにいたっては、思わず「何語?」って言いたくなるような化学物質のオンパレードだ。
現代社会を生きる人間は、例外無く、科学まみれ―嫌な言い方だけど―で生きていると言ってもいいはずだ。

かたや、宗教はどうだろう?
「あなたは何を信じてますか?」って質問されて、即答できます?
私は無理でした・・・。

私は、日本生まれ日本育ちの典型的日本人なので、横文字の名前の付いた神(一神教)というものに馴染みが無い。
恥ずかしながら、自分の家が何教に属するのかを知ったのも、二十歳だいぶ過ぎたときだったし、三十を過ぎた今でも「神様も一人よりは沢山いたほうが賑やかでいい」なんて適当なことを考えている。
(ちなみに、我が家は大乗仏教らしい。苦行無し、特殊なお祈り無し、変な壺買えとか無し、お布施は有り。)

まあ、私の宗教観は人よりもちょっとだけ(だいぶ?)変わっているかもしれないが、現代は、宗教よりも科学の方が勢力を誇っているのは間違いないだろう。

科学と宗教は長年、競い合ったり、足を引っ張り合ったり、そうかと思えば、お互いにシカトしたり、それでもやっぱり協力したりと、結構複雑な関係で結びついている。
今は科学が優勢だからといって、今後もずっとそんな状態が続くかどうかは分からないし、もちろん、これまでずっとそうだったわけじゃない。

実は、歴史的に言えば、宗教は(普段は穏やかだが、時々癇癪を起こす)「親」で、科学が(とにかく何でも口に入れたがる、この上なくやんちゃな)「子供」となるのだ。


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