何が怖くて5:木から落ちた世界


16〜17世紀のヨーロッパに、現代科学の基礎が誕生した。
それまでは、ただ単に落ちていたりんごは、重力という、見る事も触れることも出来ない(得体の知れない)「力」で引っ張られ始めた。
それまでは、地球こそがこの世の中心で、神に愛でられた星だったのに、気が付いたら、太陽という輝きを持った主役の取り巻きの一つに成り下がっていた。(しかも、その太陽だって、実は世界の中心にいるわけではないようだ。)

もう一つ加えるなら、19世紀になって、エデンの園から追放されたのはアダムとイブではなく、猿だったなんてことも言われ始めた。(猿だったら、禁断の木の実を食べてもしょうがない!)

今では、私達は、目に見えなくても重力が働いていることを知っているし、地球が太陽の周りを公転していることも知っている。それに、人間の祖先が猿であることも認めている。
私達は、それを科学と呼び、『学問』という高尚なカテゴリーに当てはめている。

他方で、私達には、宗教というものが存在する。
宗教は、17世紀以降、科学に敗北し続けているように見える。
だけど、科学をこの世に産み落としたものは、宗教だった。

16〜17世紀のヨーロッパでは、この世は神の創造物だと信じられていた。
(ちなみに、この時、日本は江戸時代、徳川の世)
人々は、神の業を、神の愛を理解するため、『真理』を求め続けた。
その集大成が、アイザック・ニュートンの辿り着いた、万有引力の法則だった。
この法則は、「リンゴが落ちて、めでたしめでたし」ではなく、「神の世界(宇宙)にも、人の世界(地上)と同じ法則が成り立っている」という、当時では、かなり罰当たりなものだったらしい。


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