踊り出す言葉3:アナログの逆襲


かなり大雑把に、分類してしまうと、デジタルは『単純』、アナログは『複雑』だ。
さらに、突っ込むと、デジタルは冷徹で妥協を知らず(「もっと理論立てて報告しろ!」っていう課長のイメージ)、アナログは寛大で大雑把(「まあまあ、そんなに目くじら立てなくても良いじゃない。がっはっは。」っていう無責任な部長のイメージ)だ。

世の中のデジタル信奉者(「人間だって、プログラムで動く機械の一種でしょ?」)は、この世の全ては、デジタルによって表現できると考えている。
確かに、世界を構成する成分が、全て、完全に、解明できれば、そうなるような気がしなくもない。

<あれ?、時代はデジタルなんじゃ・・・>

ちょっと、デジタルな言葉を捨てて生きることを、想像してみよう。
但し、言葉がないと困るので、アナログな言葉を話すとしたら。
例えば、鳥みたいに、音楽で会話するとしたら。

<毎日がミュージカルだな>

多分、毎日、イライラし通しだろう。
もし、全員がモーツァルト並みに、音楽の感性が磨き上げられたとしても、自分の伝えたいことの半分も伝わるかどうか。

「今日、スタバの店員が注文を間違えて、飲みたくもないカフェモカ飲んじゃったよ。」は・・・
悲しげな音楽。(チャイコフスキーの「悲愴」なんてどう?)
「明日が納期なのに、課長のせいで、報告書を作り直しかよー。」は・・・
ショッキングな音楽。(ベートーベンの「運命」でしょ?)
まあ、感情だけなら、何とか伝えることは出来そうだ。
だけど、「最近のロナウジーニョは、動きに冴えがないな。」は、もう、説明不可能だ。

<そりゃ、無理だろ!>

情報を正確に伝えるということでは、(今のところだけど)アナログはデジタルに敵いそうもない。

一見、そう思える。

だけど、伝えたい情報が元々アナログなものだったらどうだろう。
その場合、伝える側は、アナログをデジタルに変換し、伝えられた側は、デジタル処理された情報からアナログな原型を復原しないといけなくなる。

デジタルとは、主要な情報以外を、冷徹に切り捨てる技術だ。
マニアが未だにアナログレコードを愛するように、デジタル処理によって、失われているものは確かに存在する。

<一体、何の話を・・・?>

情報が行き交うのは、人間同士だ。
そして、私たちは、どうしようもなくアナログな『感情』というものを持っている。
この感情を伝える場合、デジタルとアナログの立場は逆転してしまう。

私たちの感情を伝えるためには、デジタルな言葉は単純すぎて、途端に、不完全な代物に豹変してしまう。


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