踊り出す言葉4:デジタルの暴走


人間は、代々その精神を引き継ぎ、長い時間をかけて、世界を細かく分解し、それぞれにラベルをつけ、几帳面に分類してきた。
国会図書館の司書も、真っ青になるぐらい。
(良く分からん例えだけど)
全く、それだけに夢中になってきた。

<時代はデジタルってことね>

ばらばらに分解した部品(パーツ)を積み上げてみると、「今度は組み立ててみるか」って考えるのが当然だ。
人間は、今度は、夢中でリストアップされた部品から、世界を組み立て始めた。
もし、上手くいったら、完全に理解可能な世界が完成だから、
(「でっきるかな♪でっきるかな♪」)
そりゃ、もう、テンション上がりまくりでしょ。
(「さてさて、ほほー♪」)
ウキウキ気分で、『科学』なんていう高尚な名前まで付けた。

<ウキウキだ>

基礎や骨組みが出来つつあった時は、まだ良かった。
でも、ようやく、みんなが気付きはじめた。
自分たちがかき集めていたのは、ただの記号や文字じゃん!
(しかも、a〜z、α〜ζはまだしも、∞、∫、∂、∀、・・・なんじゃこりゃ!)
どうやら、それを積み上げたって、歪な世界もどきにしかなりそうもない。
(1/144ガンプラの方が、マシか?)
厳密で、冷徹で、(一部の人間だけが「理解している!」と言い張る)難解な世界。

私たちが感じる世界は、どこに行った?

<確かに、どこに行った?>

私たちは、風を肌で感じる。
寒い日は、「勘弁してー!」って感じで、暑い日は、「助かった!」って感じだ。
でも、デジタル化された世界では、風は、いつ、どこで吹こうと、『空気の流れ』でしかない。

私たちは、空の色彩を心で感じる。
早朝の雲一つない突き抜けるような青さは、頭の中が透き通る気分だし、夕暮れ時の神秘的な色彩は、訳もなく涙を流してしまいそうなぐらい感動する。
でも、デジタル化された世界では、全ては、『光の散乱』でしかない。

私たちは、複雑な感情を感じ取る。
飼い猫に手を引っかかれたときは、「痛ぇ〜!」と「でも憎めない」が絡みついた感情が沸き起こる。
でも、デジタル化された世界では、私たちの感情は、『喜怒哀楽』でしかない。
(ついでに言うと、他人に感じる感情は、『愛情』と『憎悪』でしかない。)

私たちの感性と感情は、次々と言葉に置き換えられた。
そして、いつの間にか、明快な『言葉』の方が尊重され、曖昧模糊とした本来の『感性』と『感情』は、窓際へと追いやられてしまったようだ。

<だって、そっちの方が分かり易いから・・・>

人間は、デジタル化と組み立てに夢中になりすぎて、とうとう、自分自身さえもデジタル化してしまった。


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