踊り出す言葉6:心を揺さぶるアナログ


私たちは、(どちらかというと)単純で、分かりやすいものが好きだ。
(だから、火曜サスペンス劇場は、不滅だ。)
だから、会話では、ややこしい話し方や、まだるっこしい話し方は、敬遠される。
(それに、上司からは「結局、要点はなんなんだ!」と怒鳴られる。)
それで、コミュニケーションには、曖昧なものを切り捨てるデジタル化が必要となる。

<コミュニケーションはデジタルか>

ただし、誰かに何かを伝えるのが、コミュニケーションなら、
デジタル化で切り捨てる曖昧模糊なものが、重要になる場合もある。
それは、感性や感覚が主となる芸術の分野だ。

私たちにとって、自分の感じた事をそのまま、他人に伝えるのは、かなり難しい。
不可能と言ってもいい。

だから、通りでずっこけたおっちゃんに、大笑いしても、
それを友達に笑いながら話して、しらーっとした目で見られるし、何が面白いのかを説明しようとやっきになって、「きもーい!」と言われてしまう。
(それに、上司からは「結局、何が言いたいんだ!」と怒鳴られる。)

<・・・まあ、芸術はアナログってことね>

自分の世界観を、濃縮された情念を、感動を、
― 切り取った風景に封じ込める写真家
― 色彩に塗り込める画家
― 音の波に縫い込む音楽家
などなど。
(さっぱり理解出来ないけど、感じ入ってしまう、不思議な領域)

感性や感覚を伝えるには、言葉は、単純で不完全すぎる。

<確かに!>

私たち(こつこつ地道な理系人間)も、美しい風景を見れば、感動のあまり、(「俺は何て、ちっぽけな人間なんだ・・・」と)ため息だって吐いてしまう。
だけど、その感動を表現して、他人を感動させることは、とても出来そうにない。

感想を求められても、「感動した!」としか言いようがない。
まあ、せいぜい頑張っても、「超感動した!」だ。

感覚や感性は、確かに、『ここ』にある。
『これ』は、誰が何と言おうと、紛れもなく、私の一部だ。
でも、言葉で考える私は、『これ』に対して、考えることが出来ない。

デジタル(冷徹な課長)とアナログ(無責任な部長)の間で、板挟みの私たちは、まったく不自由だ。


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