なぜ他種の生物を可愛いと思うか? - その1 -

我々人間には、ペットを飼うという不思議な性質があります。
今回はこのことに関して考えを巡らせていきたいと思います。

古来、我々は外敵から身を守るために犬を飼っていたそうです。
この理由は非常に分かりやすいです。
しかしながら、現在では外敵に襲われる心配はほとんど無いのにも関わらず、非常に多くの人がペットを飼っています。
多くの人がペットを飼う理由は、ペットの「可愛いさ」や「愛らしさ」なのです。
私が最初に述べた不思議な性質とは正にこのことです。
言い換えるなら、「人間はなぜ他種の生物を可愛いと思うのか?」ということです。

犬や猫などを好きな人は、犬や猫などを可愛がる時の自分の気持ちを思い浮かべて、考えてみてください。
犬や猫などに対する気持ちは元々人間が持つものでしょうか、それとも後天的に(道徳教育などと同様に)外からの情報として教えられたものでしょうか?おそらく、他種の生物を可愛いと思う気持ちは、教えられたものではなく、元々人間が持っているもの、つまり本能的なものだと感じるでしょう。

人間を含め全ての生物の生存理由は、自分の種(遺伝子)を残すためだと言われています。
このことは、自分にその自覚は無くても、確かにそうだと納得できるだけの説得力があります。
しかし、人間が人間という種を残すためだけに存在するのならば、なぜ他種の生物を可愛いと思うのでしょうか?しかも、上で述べたとおり、その感情はどうも先天的な本能のようです。
人間は、本当に他種の生物に対する愛情を持って生まれてくるのでしょうか?

この疑問に対する解答の一つとして、人間は自分達の生命(種)を脅かされることがほとんど無くなったため、他種の生物を思いやれる余裕を持つことが出来たということが考えられます。
しかし、ここで二つの疑問が浮かびます。
それは、@人間が人形やロボットに対しても可愛いと感じる事と、A可愛いと思う対象には個人差があるという事です。
我々が他種の生物に対する愛情を持って生まれてくるとすると、これらの疑問に対する解答を見つけることができません。

ここで、まず他種の生物を可愛いと感じる感情は、人間固有のものなのかどうかを考えたいと思います。
災害時などに色々な種の動物が助け合うということは聞いたことがありますし、人間が他種の生物に生命を救われたということも聞いたことがあります。
しかし、人間以外の生物が日常的に他種の生物を可愛がるというのは聞いたことがありません。
直感的に考えても、やはり他種の生物を可愛いと思うことは人間特有のものと考えられます。
これを出発点として、今回の疑問に対する解答を探していきます。

他種の生物を可愛いと思うことが人間特有のものであるとすると、これには、人間特有のもの、すなわち思考(自意識)が関係している事が推測されます。
他章で述べたように、他人とコミュニケーションを行う時、人間は思考によって相手の言動に自己の投影を行い、相手の感情を予測しています。
つまり、相手の表情が険しくなったり、相手が声を荒げたりすると、そのような言動を自分が行う場合の感情を手がかりにして、「相手が自分に対して怒っている」ことを予測するわけです。
要するに、相手に対する気使いです。
我々は普段意識することなく、このような事を行っています。

我々人間が、猫や犬そして人形やロボットに対しても可愛いと感じる原因は、上で述べた「思考による感情の予測」、つまり「自己の投影」に関係すると考えられます。
まずは、我々人間のペットへの関わり方(コミュニケーション)に焦点を当て、自己の投影、俗っぽく言えば感情移入が重要な役割を担っていることを述べていきたいと思います。
ペットを飼っている人は愛犬や愛猫などと一緒にいるところを思い浮かべて読んでください。

実は私は、諸事情によりペットを飼ってはいませんが、猫が大変好きです。
私は猫を見かけると、頭を撫でてやったりします。
多くの人が自分のペットに対して同様の行動をするはずです。
実はこの行動こそが、自己の投影に他ならないのです。
なぜ頭を撫でてやるのでしょう?答えは、「猫が気持ち良いと感じている気がする」からです。
猫の頭を撫でてやると、猫は非常に気持ち良さそうな顔をし、時には喉をゴロゴロと鳴らしたりします。
その時、我々は無意識に、普段人間に対して行っていることと同じ事を猫に行っています。
つまり、猫の言動から、猫の感情を予測しようとする訳です。
上で述べた例では、頭を撫でた時の猫の表情やしぐさから、「猫が気持ち良いと感じている」事を予測している訳です。
しかし、残念ながら猫が本当はどう感じているかは、その猫にしか分かりません。
例え、科学的に猫の神経伝達経路や脳内麻薬の分泌が分かったとしても、本当の意味で、我々が猫の気持ちを知ることは無いのです。

この自己の投影の考え方をロボットや人形に適用することによって、人間がロボットや人形に対してもペットと同様の関わり方をする理由が垣間見えてきます。
すなわち、人間は他人に対して行う自己の投影を生物以外にも拡張できるのではないかということです。
私は猫のぬいぐるみなどには、猫に対して抱く感情と同様のものを感じます。
自分の年齢や性別のために、猫のぬいぐるみの頭を撫でることに抵抗はありますが、そうする気持ちは理解できます。
また、ぬいぐるみを叩いたり蹴ったりする事にはある種の罪悪感のようなものを感じてしまいます。
正にこれこそが、ロボットや人形に対する自己の投影なのです。
つまり、叩いたり蹴ったりすれば相手(ロボットや人形)が嫌な思いをするだろうということを、私は無意識に予測しているのです。
従って、我々人間は、他種の生物をはじめロボットや人形に対してさえも自己の感情(心)を投影し、それによってコミュニケーションを図ることができるのです。
もちろん、人間対人間でのコミュニケーション以上に、自分本位なものではありますが。

「人間は自意識によって孤独を感じるようになった」という考え方があります。
つまり、自意識があるからこそ他者が認識でき、更に、相手の気持ちを完全に理解することが出来ないために孤独を感じてしまうのです。
我々人間は、種および生の範囲を超えたものとさえ精神的なつながりを持ち、自らの孤独を埋めようと奔走している生物かもしれません。

2004/1/20作成
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